2010-05-19

Welcome!

本日午前、無事に息子が誕生しました。出産予定日を過ぎていましたが、2週間ほど予定日から遅れて生まれて来た私の息子ですから、彼も遅れて生まれて来るだろうと思っていました。ただ、私の思いとは裏腹に、妻としては息子を抱えたお腹は大きくなり、そろそろ生まれてくれたらいいなと思っていたようです。そんな矢先の陣痛、そして出産でした。

出産には立ち会いたいと思っていたのですが、結果的には立ち会えませんでした。助産師さんや医師の検診結果よりも予想以上に急激に進行し、夕方以降に産まれてくるのではと言われていたにも関わらず、午前9時半過ぎには産まれて来てくれました。私は通勤途中で連絡を受け、急いで戻りましたが最寄り駅に着いて病院に電話した時には「たった今産まれたんですよー」との回答。。。結局立会いは出来ませんでした。

病院についてすぐに分娩室に向かうと出産を終えた妻が大役を成し遂げた後の達成感と疲労感を感じつつまどろみの中にいました。産まれた直後でしたから処置中でしたし、点滴もされていたため、検査から帰って来た息子を真っ先に抱きかかえたのは(妻の許可を得た)私でした。

小さく産まれて来た息子はお母さん思いの優しい子です。大きく産まれて来てしまった私とは違いました。でもちょっぴり小さすぎないかな?とは思いましたが、元気に泣いていて、手足をせっせと動かして親の不安を軽く一掃してくれました。

息子が生まれ、私も父親になりました。母親からは「あんたが父親になるなんてねー」と言われたりもしましたが、やはり可愛い息子の顔を見ていると、この顔をいつまでも見ていたいと思うし、彼を抱えている妻の優しい表情を見て、家族が3人になったんだな、と強く実感しました。

家族が増えるということは本当に嬉しいことです。確かに責任は今まで以上に、数倍もの責任が自らにのしかかって来るわけですからそれが嫌だ、だから結婚しない、子供を生まないという方もいると思います。そしてそれを否定する気も全くありません。ただ、私は結婚して妻とパートナーとなり、色々なことを話し合い、お互いに色々な視点や考えを持ったり学んだりして二人でお互いを高められていることが貴重なことだな、と思いますし、新しい家族が増えたことで更なるチャレンジを得ることが出来るようになったし、自分の両親が示してくれている人間の生き方を、今度は私が息子に伝えていくんだ、と思うと、私はこの状況にものすごく感謝しています。そしてとても嬉しい気持ちになっています。

父親業も一生懸命頑張って、そして楽しみたいと思っています。

2010-05-11

Message

キミが大人になった時、この世界はどのように変化しているのだろうか。地面を走るハイブリッドカーや電気自動車、本体を手で持って通話する携帯電話、世界と繋がるインターネット、、、そういった現在の最先端技術が全く過去の遺物となり、今とは違う世の中がそこには広がっているのだろうか。

そうそう、人類は宇宙にも気軽に行けるようになっているだろうか。昔、海外に行くことが本当に一大イベントだったわけだが、それも今や飛行機に気軽に乗り、パスポートは必要だけれども海外旅行が身近になっているように、宇宙旅行も身近になっているだろうか。宇宙ステーションは?月面基地は?火星への往復は?そして地球外生命体との遭遇はどうだろうか。

私は変化は楽しいと思うと同時に、怖いとも思う。現在の居心地の良さというものは、先人が色々なものを、時には命さえも犠牲にしてもたらしてくれた尊いものだ。それを失うという怖さは単に苦しい生活を強いられるから、ということではなく、成立のために費やされた多くの犠牲を無にしてしまうのではないか、という申し訳なさのような感情を抱いてしまうからだ。

この世界をキミに遺すこと、それももちろん努力の要ることだけれども、今以上の環境と、そして愛情と、人を思いやる心や気持ちを遺す努力は中途半端な考えでは出来ないのかもしれない。つまり、覚悟が必要なんだ、ということだ。

覚悟というものの大切さ、そしてそれを持つ人間の強さに私はどれだけ触れてきたかな、と思うと、実は正直なところよくあまり分からない。私の周囲にいる人達、いた人達は、人知れず己に対して覚悟を決めて生きてきたのだと思う。だから、きっとキミには私の覚悟は伝わらないかもしれない。でもそれでいい。覚悟を持つことよりも、覚悟を決めて、断固たる決意に従って生きていく姿、そこに何かを感じてもらえたらいいと思う。

キミという存在を得られる喜びを、キミの母と私でしっかりと感じ、これからを精一杯楽しく生きていきたいと思う。この世界を、世界中の人たちと満喫し、様々なことにチャレンジする私の人生、その結果が先人が遺してくれたこの素晴らしい世界と、チャレンジ出来る機会をキミに遺してあげられたら私は幸せだ。

2010-05-01

暖かい日で始まるGW

世間では一昨日の4/29からGWが始まっている方もいらっしゃるかもしれません。が、私はカレンダー通りのGWです(笑)ということで今日から長期連休が始まります。

独り身であれば国外脱出など色々とプランするかもしれませんが、結婚して、もうすぐジュニアも産まれるという状況下においては家族のことや、今後の将来のことを考えるにはちょうどいい時間としてGWが存在してくれます。色々と準備をしたり、自分としてどのように子供と接していこうか、また妻がどのような心境でいるか、など色々と考えることがあって無駄な時間は一瞬たりともないな、と実感します。

昨夜は一緒に働いているメンバーと仕事を終わらせ、夜遅くまでワインを飲んできましたが、本当は予約していたスペインのお店に行きたかったのですが残念ながら店を変更することになりフランスのワインを飲んできました。美味しかったのですが、やはり初めてのお店はちょっと勝手も分からずしっくりいかないことも多いです。大変お世話になっている3店には心から仲良くさせてもらいたい、仲良くなりたいと思える方々がいて、そんな方々がServeしてくれる料理やお酒(ワインや日本酒)はやっぱり美味しい。もちろん美味しい料理には良い食材と、それを生かす料理人の腕が必要ですが、私はそれだけでなく、やはり「この人がいるから行きたい!」というお店を好みます。

お店だけでなく、いつもお世話になっている整骨院の院長もそうです。彼も私と同じ世代の方ですが、本当に気さくで色々なことを教えてくれたり、こちらの話を親身になって聞いてくれます。

人が好きだな、と思います。これらの人達に何か恩返しが出来たら、最高な人生だなと思います。

2010-04-29

もうすぐ

随分と間を空けてしまったのですが、書こうと思います。最近、Twitterで昔お世話になった方々の動向を見ていると、皆さん色々とブログに書いておられて、そんな時、自分は自分自身の情報発信が出来ていないな、とつくづく感じるわけです。

自分自身で色々と考え、自己解決をして、、、そうやって生きて来たようにも思えますが、でも、そこには多くの方々の支えがあったことは間違いないわけで、彼らが支えて下さったのは多かれ少なかれ、私を理解してくれようとして下さったから、に他ならない。そこを考える時、理解してくれるのを待つのではなく、少しでも自分自身がどのように考えているのか、何故そう思うのか、を発信することで、自分を理解してもらう努力もしなければならないのだと考えるに至ったわけです。

例えば妻は色々と私に相談してくれます。私はそれを聞いて自分なりに考えを組み立て行動に移す。でも私がどう思っているのか、を言わずに一人で解決してしまうことがあり、それが理由で話し合う機会を持ったことがありました。こんな身近な人に対して出来ていないのに、周囲の人たちに出来ているとは思えない。そう思って猛省しました。いつも実施する必要はないにせよ、自分の思いをきちんと表現し、理解を得ることも極めて重要なことである、と思ったわけです。

最近の一番のホットなトピックはもうすぐ生まれてくるジュニアについて、です。今週から臨月に入った妻のお腹はますます大きくなり、お腹に話しかけると反応してくれるジュニアを見てとても嬉しくなります。先日母親に電話した時にも「あんたが父親になるなんてねぇ」と言われましたが、私はとても手のかかる子供でしたから、それがここまで大きくなり、成人して社会の一員となり、そして結婚して子供を授かるまでに至ったのですから両親や兄、そして支えてくれた全ての人たちに感謝したいと思う気持ちが強くなります。ジュニアについても多くの人たちに支えられながら生きていくだろうと思うと今から感慨深いですが、正しい方向に導いてあげたいと思います。でも、まずは元気に無事に生まれてきて欲しい、と心から思います。

子供が出来る、その事だけで自分の考えに少しずつ変化が生まれてきて、子供に与える影響や機会を考えるようになりました。先日大学時代の恩師石倉洋子先生のブログに書かれていたRoom to readのJohn Wood氏の『マイクロソフトでは出会えなかった転職』を読んでそれは確固たる意志に変わり、これまであまりボランティア活動というものに興味を示してこなかった自分がTake actions!を自分のものにすることが出来るようになりました。こういった機会に触れるだけで自分の心が温かくなっていくのを感じられることを今まで知らなかったのはもったいないな、と思います。でも人生はこれからが本番!色々と楽しみなことが多く、ワクワクします。

色々なことを吸収しながら、色々と考えながら、一歩一歩進んでいきます。

2010-02-03

35歳の教科書

前杉並区立和田中学校校長 藤原和博氏が書いた本です。成長社会から成熟社会になるにつれて、モデルとなる人材が存在しなくなり、みんな一緒から、一人一人に考え方がシフトしてくる中でどのような人生戦略を考えるべきか、について書いています。

多くの年収を稼いでいても、実労働時間で換算すると時給がどのくらいになるのか。それだけ仕事以外の時間を食いつぶして人生を仕事に邁進させて来た成長社会における働き方と、成熟社会の働き方、生き方は違うのかもしれないと思い始めました。

何か新しいものを購入して幸せになる、ということはあっても常にそれで心が豊かになるかと言えばそうではないのも事実。一方当然だがお金が無ければ生きていけないのだから最低限の収入は当然得なければならない。果たしてそういう仕事があるのだろうか、というのがまず私が考えなければならないポイントだと思っています。

仕事をしていると正直面白い、と思っています。自分に対するチャレンジ、自分の限界を知ることの楽しさ、そしてそれを乗り越えた時の達成感、それをプロジェクトメンバー皆で達成した時の感動はひとしおです。だから辞められない。確かに中毒のようなものだな、と思いつつ、それでも自分が楽しいと思えることに時間を使うことに何のためらいもありません。いや、正確にはためらいもありませんでした。

結婚して家族が出来、妻との時間を一緒に過ごしていると、やはりこの時間が自分の人生にとってどれだけ貴重なのか、ということを感じます。それは今まで自分に無かった考えや行動、そしてそれが自分に、そして彼女にも影響し、一緒に人生という本のページをめくりながら進めていくことにこの上ない楽しみと喜び、そして自分の居場所を実感しています。しかしながら仕事で遅くなる自分の生き方がこのままで良いのか、とも思います。

終身雇用でもありませんから、会社に良いように使われておしまいです。もちろんそうならないように皆が一生懸命頑張って仕事をするのですが、常に成長し続けていた時代が終わり、今まであり続けた成長のパイがそこかしこに広がっていないことを明らかに実感する現代においては地球上のどこまで行ってもそのうちパイは見つけられなくなるのだと思います。宇宙や地中、または海中といった今までの人間の生活圏外に可能性を見出さない限り・・・。

でもパイを見つけ、成長し続けることが全人類にとって幸せなことなのか、は正直私も分かりません。確かに私は宇宙に進出し、地球の青さを実感し、ニューフロンティアを見出すことできっと感動することが出来るとは思っています。人生においてどれだけ感動出来るか、が生きてきた証なのだとも思うので。ただ、成熟した社会において多様化する価値観、複雑化する世界の中で自分らしさを見出すこと、そして様々な人々の十人十色な「らしさ」を認め合える生き方、それもまた生きてきた証なのかもしれない、と思い始めてきました。

この本を全て読んで、自分なりに考えを持った時、もしかしたら私は今の会社に在籍していないかもしれません。それでも、この先生まれてくる命のことを考え、自分の優先すべきものが変わった中では、きっと充実した人生を送ることが出来ると思うし、死ぬ時に後悔しない人生だったと振り返ることが出来るのではないか、と思います。

読み終わった時の自分の考えが、自分としても楽しみです。